インデックスの長期投資は、少し宗教に似ていると思っている
理屈で始めても、最後は信じる力が必要になると思っている
インデックスの長期投資は、合理的な投資法として語られることが多いです。
低コスト、分散、長期保有、積立。
理論としてはかなりきれいで、再現性も高い。だからこそ、多くの人が「正解に近い投資法」として受け入れています。
ただ、実際にこれを何年も続けようとすると、理屈だけでは足りないと思っています。
暴落しても積み立てを続ける。
数年単位で停滞してもやめない。
周りが違う商品で盛り上がっていても、自分のやり方を変えない。
これを本当にやるには、最後はかなり信じる力が必要になるからです。
ここで言いたいのは、宗教的価値観に基づく投資の話でも、投資の盲信を批判する話でもありません。
そうではなく、長期のインデックス投資を実際に続ける構造そのものが、少し宗教に似ていると思っているという話です。
インデックス投資は合理的なのに、続けることは意外と合理的ではない
インデックス投資は、始めるだけならかなり合理的です。
市場全体に分散できる。
個別株のように銘柄分析をしなくていい。
コストも低い。
長期では報われやすいという歴史的な考え方もある。
ここまでは、かなり理屈で説明できます。
でも問題は、その理屈を理解した人が、みんなそのまま続けられるわけではないことです。
相場が下がれば怖くなる。
上がりすぎれば不安になる。
含み益が増えれば利確したくなる。
他人がもっと強い商品で盛り上がっているのを見ると、そちらに乗り換えたくなる。
つまり、正しいと分かっていることを続けるのが難しい。
ここに、長期投資のややこしさがあります。
理屈で始めても、最後まで続けるには理屈だけでは弱い。
これは長期投資をやっていると、かなり実感するところだと思っています。
信行心は、そのまま長期投資の構造に近いと思っている
長期投資には、結局のところ信・行・心が必要だと思っています。
まず信。
長期では世界経済が成長し続けることを信じること。
企業は利益を出そうとし続けること。
人類の生産活動は、波はあっても積み上がっていくこと。
これを信じられないなら、インデックス投資は続きません。
次に行。
毎月積み立てること。
暴落時にもやめないこと。
相場が好調でも、余計な利確や乗り換えをしないこと。
頭で分かっていても、実際に行動として続けるのは別問題です。
最後に心。
これはほとんどリスク許容度のことだと思っています。
値動きに耐える心。
数年単位の停滞にも折れない心。
含み損にも含み益にも振り回されすぎない心。
リスク許容度というと数字で語られがちですが、実際はかなり精神の問題です。
結局、長期投資で必要なのは、信じて、続けて、耐えることなのだと思っています。
こう並べると、かなり宗教っぽい構造です。
名著がバイブル化するのも、ある意味当然だと思っている
長期投資の世界には、何度も引用される本があります。
『敗者のゲーム』
『ウォール街のランダム・ウォーカー
『インデックス投資は勝者のゲーム』
そのほかにも、長期投資を続けるうえでの定番本はいくつもあります。
これらは単なる知識として読まれているだけではないと思っています。
実際には、不安になった時に立ち返るための拠り所として読まれていることが多いはずです。
暴落した時。
相場が何年も冴えない時。
周りが別の投資対象で盛り上がっている時。
そんな時に、もう一度読み返して自分を落ち着かせる。
それは知識の再確認でもありますが、同時に信念の補強でもあります。
だから、長期投資の名著がバイブルのような位置づけになるのも、ある意味当然だと思っています。
知っているだけでは足りない。
不安になった時に、自分を元の場所へ戻してくれる文章が必要になる。
長期投資には、そういうところがあります。
毎月積み立てる行為には、少しミサや礼拝のようなところがある
毎月同じ日に、同じ商品を、同じように買い続ける。
これには、かなり儀式性があると思っています。
もちろん、合理的な自動積立です。
でも同時に、迷いを消すための儀式でもあるはずです。
今日は上がっているからやめよう。
来月の方が安いかもしれない。
やっぱり別の商品に変えた方がいいかもしれない。
こういう迷いを毎回持ち込むと、長期投資は簡単に壊れます。
だからこそ、決まった日に、決まった額を、決まった商品に入れる。
その繰り返しが、自分の感情をならしていく。
少し大げさに言えば、積立にはミサや礼拝のような意味があるのだと思っています。
信じているものを、迷わず続けるための行為。
長期投資では、その儀式がかなり重要です。
暴落は、信仰心ではなく信念の強さが試される時期だと思う
長期投資が宗教に似ていると思う一番の理由は、暴落時です。
上がっている時に「長期で持ちます」と言うのは簡単です。
でも、20%、30%と下がった時に本当に続けられるかは別問題です。
その時に必要になるのは、頭の中にある正論ではありません。
最後に効いてくるのは、自分がその投資方針をどこまで信じているかです。
もちろん、ここでの“信じる”は根拠のない精神論ではありません。
過去のデータや合理性の上にある信念です。
それでも、暴落時に積み立てを止めず、売らずにいられるかどうかは、理屈を知っているだけでは足りません。
信ずるものは救われる。
長期のインデックス投資には、どこか本当にそれに近いところがあると思っています。
理屈を知っているだけでは救われない。
信じて続けた人だけが、あとから報われる。
これはかなり皮肉ですが、実際そういう面はあると思っています。
最初は資産を増やしたいという煩悩で始まり、最後は無に近づいていく
長期投資を始める理由は、たいていかなり俗っぽいです。
お金を増やしたい。
早く自由になりたい。
老後の不安を減らしたい。
会社に依存しなくて済むようになりたい。
他人より資産を作りたい。
つまり、最初はかなり煩悩です。
これは別に悪いことではありません。むしろ普通です。
でも長く続けていくと、少しずつ変わっていきます。
上がっても、まあそういう日もある。
下がっても、まあそういう日もある。
最高値を更新しても、暴落しても、やることは変わらない。
毎月積み立てて終わり。
そこまで行くと、かなり無に近い。
増やしたいという気持ちで始めたはずなのに、最後は増減に一喜一憂しなくなっていく。
長期投資の面白いところは、そこだと思っています。
最初は煩悩で始まるのに、続けるうちに、だんだん執着が薄れていく。
ある意味では、少し悟りに近いものがあるのかもしれません。
信者が増えるほど強くなるところも、少し宗教に似ていると思っている
さらにインデックスファンドは、信者が増えるほど強くなるところも少し宗教に似ていると思っています。
もちろん、ここで言う信者とは受益者のことです。
でも資金が集まり、純資産額が増えるほど、ファンドとしての安定感は増します。
繰上償還リスクは下がり、継続性への安心感も強くなる。
その安心感がさらに資金を呼び、また純資産額が増える。
そういう循環があります。
教団に人が増えるほど組織が安定するのと、少し構造が似ています。
もちろん、信者が多いから正しいとは限りません。
人気があることと、投資対象として合理的であることは別です。
それでも長期投資の世界では、純資産額が大きいこと自体が、商品としての安心感や続けやすさにつながるのも事実だと思っています。
このあたりも、かなり宗教っぽい構造です。
宗教との一番大きな違いは、生前に報われるかどうかだと思っている
ここは大きな違いだと思っています。
宗教は、一般的には死後の救済を扱うことが多い。
もちろん宗教によって違いはありますが、少なくとも“この世を超えた救い”を語ることが多いと思います。
それに対して、長期のインデックス投資は違います。
こちらが目指しているのは、生前の救済です。
老後不安を減らす。
働き方の自由度を増やす。
会社を辞めても生きていけるだけの資産を作る。
日々の不安を少し減らす。
つまり、投資はかなり現世利益的です。
そう考えると、長期インデックス投資における神は、世界経済そのものというより、「長期では世界は成長し続ける」という前提なのかもしれません。
暴落があっても、停滞があっても、最終的には人類の生産活動と企業利益は積み上がっていく。
その前提を信じられるかどうかが、長期投資を続けられるかどうかの分かれ目になるのだと思っています。
ただし、根拠のない盲信とは違うと思っている
ここはかなり大事です。
インデックス投資が宗教に少し似ていると思っている。
そう言うと、すぐに
「結局は思考停止の盲信なのか」
という話になりがちです。
でも、自分が言いたいのはそういうことではありません。
長期のインデックス投資は、根拠のない信仰ではないと思っています。
過去のデータがあり、合理性があり、低コストで分散され、歴史的にもかなり筋が通っている。
だから、始める理由まではちゃんと理屈で説明できます。
ただ、その理屈を知っていても、実際に続けるのは難しい。
だからこそ、最後は理屈だけでは足りず、信念が必要になる。
つまりこれは、理屈を捨てた宗教ではなく、理屈の上に乗った信念の話です。
ここを混同すると、かなり雑になると思っています。
まとめ
インデックスの長期投資は、少し宗教に似ていると思っています。
合理的な投資法として始まりながら、実際に続けるには、最後は信じる力が必要になるからです。
信じて、続けて、耐える。
この構造は、かなり宗教に近い。
毎月の積立には、少しミサや礼拝のような儀式性があります。
名著は不安になった時のバイブルになる。
暴落は信念の強さを試す時間になる。
最初は煩悩で始まっても、最後は無に近づいていく。
さらに、信者が増えて純資産額が大きくなるほど、ファンド自体も安定しやすくなる。
ただし、それは根拠のない盲信とは違います。
あくまで、合理性の上にある信念です。
そして宗教との一番大きな違いは、投資が目指しているのは死後の救済ではなく、生前の救済だということです。
長期インデックス投資は、合理的に始まる。
でも、本当に続けるところまで含めるなら、少し宗教に似ている。
自分はそう思っています。
